ブログ開設のお知らせ

ごきげんよう

ここで会うのはお久しぶりです。

前にお会いした時と元号は変わりましたが、「みなさんお元気ですか」。

この度の改元では何の気兼ねもなく訊けますね。

結構なことです。実に結構なことです。

 

 

 

このたび自分で好きなことを書くためのブログを開設した。まったく僕個人用のブログだ。名前は好きなジャズ・スタンダードから拝借した。やはりE♭の曲は好きだ。

 

今回は初回なので、なぜブログを書き始めたかをしたためておくことにする。つまるところ、以下はこれから駄文に時間をかけることを正当化するための"言い訳"である。

 

ひとつには、定期的に文章を書く練習をしておきたいと思ったこと。

「ペンは剣よりも強し」などと言うが、普段から稽古をつけておかないと切っ先が鈍るのは、どうやらペンも剣も同じのようだ。"良い文章"が何なのかはよく分からないが、少なくとも自分の内面にあるものを過不足なく、その形のまま表出できるような文章は書いていたい。

 

ひとつには、SNSという場所は(自分の場合はツイッターのみだが)、日々考えたことを書き表すには、少し窮屈なように感じたこと。

「140」という字数は、日々考えたことをありありと読者に伝えるには短すぎる。大学入試でも要約は200字程度はあるのがセオリーだ。これに具体例などを挙げだせばキリがない。

その点ブログは無制限である。字数制限もなく、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

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文字のを変えたりもできる。

唯一「~~まで」という制限があるとすれば、それは「気が済むまで」である。

 

(このように広々と段落を分けられるのもブログの良いところだ)

 

ひとつには、僕のなかに眠っている記憶を、何かしらの文章の形で書き残しておきたいと思ったこと。

文章を書くことは、個人の思考を他人が見てもわかるようなフォーマットに整理するという営みだ。過去の自分なんて、今の自分から見れば他人も同然。そうならないように、またそうなったときのために、まだ言語化されていない感情や曖昧になった記憶を整理しておこうと思ったのだ。

 

 

かつて、海軍の世界には「大艦巨砲主義」の時代があった。大きな主砲を備えた戦艦は海上の要塞として重要視され、各国はこぞって艦船造りに励んだという。しかし、第二次世界大戦の頃にはその「船の時代」は終焉を迎え、より量産でき、より速く、より小回りの利く「飛行機の時代」へと移り変わっていった。

 

それは文章も同じことのようだ。

2000年代半ばころからものすごい勢いで台頭し、その隆盛を誇った「ブログ」という文章文化も、今は鳴りを潜め、その座を「SNS」という文章文化にとって代わられてしまった(ブログはSNSではないのか? と問われればNOとは答えがたいが)。もちろん現在でも読者数の多いブログは一定数存在するが、その書き手は大まかに2パターン。「有名人」か「何かを発信したいと思っている人」だ。個人の些末な日常を綴るブログを書き、それを読み、互いにコメントを送りあうという文化はほぼ廃れてしまったように感じる。

 

以前担当していた公式ブログとは違い、ここで何かを発信するつもりはない。今から超弩級戦艦をこしらえてまで、誰かに戦争を吹っ掛けるような真似はしたくない。

このブログはいわば、ネットという広大な海に眠る、沈没船のようなものである。このブログを書くということは、過去の遺物をせっせせっせと拵えるという行為なのである。

とはいえ沈没船は海の生き物の良い住処となるらしい。こんな拙い文章でも読む人は読んでくれるんだろうとは思うので、それも糧にしつつ書き溜めておくことにする。

 

 

先にも触れたが、これは"公"式ブログではない。登場するのは、飾り気も媚びも遠慮も体裁もない"私(わたくし)"だけだ。そっけない文体に、頻出する自分語り。読んでてつまらないかもしれない。ひょっとしたらムカつくかも。まぁ、そのへんも含めて本来の僕ということで楽しんでいただけるなら幸運だ。なるべく汚い言葉は使わないようにするので。ウソでーす。クソクソクソ!wくりーむぶりゅぶりゅれww

 

ではこのへんで。

 

読井 栞(あたらしいペンネームです)